センチメンタル、それは感傷的

センチメンタリストの、弱々しい日常

私が苦しんだパニック障害

就活のため、立川から中央線の通勤特快に乗りました。

朝の通勤ラッシュの時間帯。新宿まで。

座席には座れたのですが途中、国分寺にしか止まりません。

ギュウギュウの、長時間外に出られない電車の中では今でもドキドキします。

 

 

 

あれは中学2年の朝、学校の読書の時間でした。

睡眠不足のためか、その日はほんの少しだけ吐き気がしてました。

「そういえば腸炎になった時も、最初こんな感じだったな」

小学5年の時、腸炎で苦しんだことを思い出し、「腸炎だったら嫌だな」と思ったのです。

「嫌だな、嫌だな」そう思っているうちに心臓がバクバクしてきました。

「ここで吐いたらどうしよう」

教室で吐くことに恐怖を感じ、急に口がパサパサに乾燥し、手足から汗が出てきました。

「教室から出なければ」

次第にそう考えるようになりました。しかし静まり返った教室で、先生に不調を訴えることにものすごく抵抗を感じていました。

「吐きたくない」 「外に出たい」 頭の中で何度も繰り返しました。

「吐きたくない」 「外に出たい」

「吐きたくない」 「外に出たい」

その思いが限界まで達した時、私は教室の外に飛び出し、倒れこみました。

先生が来て、「大丈夫?」と言われました。

不思議なことに、それまでの我慢できない吐き気と動悸は、外に出た途端弱まっていきました。

初めての体験でした。そしてその日は何事もなかったように過ごしました。

 

 

しかしその日以降、私は毎日のように同じ症状に苦しめられたのです。

 

1週間も経たないうちに、私は学校に行けなくなりました。

学校での症状を考えただけで不安になりました。すると学校に行く道の途中でも、強烈な吐き気に襲われました。

 

「毎日吐き気がする。」と母に話し、病院に連れて行ってもらいました。

しかし何も異常は無く、吐き気止めだけをもらって帰りました。

 

症状はずっと続いていました。

外には出られなくなり、好きだった映画は映画館が怖くて見に行けなくなり、親の車にも乗れなくなりました。

ついには、夜寝る時も同じ症状に襲われるようになりました。

 

家の中でも常に恐怖を感じ、この苦しみがずっと続くのかと思うと絶望しました。

母に話しても「気のせいだ」と言われ、苦しみを理解してくれる人もいませんでした。

今思えば確かに全部気のせい、自分で作り上げたものだったのですが。

 

 

ある日、ミントの風味が吐き気に効くとネットで知り、試しにフリスクを買い、吐き気を感じ始めたら食べるようにしました。

すると心なしか、症状が落ち着くような気がしました。

救われたような気がしました。

その日からフリスクが手放せなくなりました。お守りがわりにずっと持ち歩きました。

 

そしてそんな時、「ザ!世界仰天ニュース」で中川家の剛さんがパニック障害で苦しんでいたという映像を見ました。

私が苦しんでいた症状そのものでした。

この時に「パニック障害」という病も初めて知りました。

病気ということも分かり、この苦しみは自分だけじゃなかったのだということを知り、少し安心しました。

それから少しずつ発作は起きにくくなり、症状も和らいで行いきました。

 

パニック障害は完治しない病気なのかもしれません。しかし今では不安も自分でコントロールできるようになり、日常生活も不自由なく送れています。

誰でも発症する可能性のあるパニック障害。同じような症状に苦しんでいる人がいれば寄り添ってあげたいと思います。

 

100人に1人は同じように苦しんでいると言われています。

私が乗った通勤特快の車両にももしかしたら苦しんでいる人がいたのかもしれません。